
私はまだ1週間前ですがSNSを全てやめました
表現の場としてのYouTubeと連絡手段のLINEだけは残しました
SNSを全てやめた事によるメリットについて感じたことをありのまま書いてみたいと思います

自分を安売りする必要がなくなった
SNSで自分の姿や食べたもの持ち物彼氏彼女、家族などをあげていいねをもらう行為
今までは人間として当たり前の承認欲求だと思っていたのですが
SNSをやめてそれを俯瞰で見た時に生じた感情は違和感と変態性が垣間見得た事です
自分を見せたがる心理はどこか露出狂に通づるものがあります
そして露出狂となってしまったSNSユーザーは露出せずにはいられずに、時に見られないリアクションされないことを孤独と誤解し病んでいきます
そもそも人間なんて本質は孤独なはずなのに孤独は受け入れ難い、孤独になりたくない欲求とは人間の存在価値の否定を行っていることと同質であり
なんて卑しく滑稽なのだろうと最近憤りを感じております
世間のために誰かのために自分の価値を安く見積もり切り売りするなどという行為が不要となった今大変ストレスなく日々を過ごせているほか
「個」としての本当の意味での自己の人間的価値に気づき日に日に自分を好きになってきました
情報を疑う習慣がついた
SNSやネットに出回っている情報が真実だという確固たる確証はありません
例えばコロナウイルスの日々の感染者数もそもそも我々はそのウイルスが「新型」コロナウイルスという確固たる根拠の証明もされぬまま数字だけを見て真実と解釈しています
夜の街感染と水商売携わる方々を集中攻撃してきたマスコミや庶民もそもそもが夜の街感染という根拠の証明すらされていないのに活字だけで真実と鵜呑みにしてしまう
夜の街に行き着くまでの数時間に渡る行動履歴の中どのタイミングで感染していてもおかしくないのです
挙げ句の果てには夜の街関連といってきたが実は家庭内感染の方が多いのだとかむしろ感染経路不明者が一番多いなどまたいってることが二転三転する始末
もう非常に支離滅裂で滅茶苦茶です
このようにSNSから離れて俯瞰で見た状態から皆がわーっと騒いで集まっている意見であればあるほどその事柄に強く違和感と疑問を持つ習慣がつきました
報道やSNSネットでの真実とか正しいとかは所詮は「数」や「誰が言ったか」のレベルであり非常に薄っぺらい印象に見えてなりません
私が真実と言えるのは自らが実際経験したことしか信用しません
例を挙げますと
コロナがヒートアップする前に渋谷、新宿、池袋などの都心、千葉、はたまた福島、宮城、岩手、山形まで夜の街を弾き語りをして回りましたが感染の疑いない上関わってくださったお客様にも感染の疑いのないまま数ヶ月が経ちその結果からコロナはそもそも存在しないし存在しても感染力は極めて弱いという体感
無症状なのでは?の問いに対して、ならば無症状で感染広げてる可能性もあるはずなのですがその事例も存在するはずなのに私の周りにはそのような事例も存在しない
加えて東北に弾き語りに行った際は実家に数日宿泊しましたが両親も祖母も全く感染の疑いなくピンピンしています
コロナはデマ説が今のところ自分の「経験した真実」です
それをより証明せよという方いらっしゃいましたらご一報頂きその際口座情報を個人間でご連絡いたしますので100万円の寄付いただければ直ちに毎晩新宿の夜の街に繰り出し弾き語りしたり飲み歩いたりしながら三密・濃厚接触を心がけ果たして感染するのか経過をYouTubeにて報告していく企画を決行してみたいと思います
なぜ100万円かと言いますともし最悪感染した時のことを考えて移動はせず新宿にしばらく滞在する目的と取材費、さらに本業に著しく悪影響がさらに起こるため生活に支障をきたすためその最悪に備えた保険のためです


他人の評価を気にしなくなった
SNSを利用していると良くも悪くも人の評価がついて回ります
より多くのいいねやリアクションをもらえるよう自分では望まないキャラを無理に演じてきたように思います
かっこよく、可愛く、頭が良く、高収入、いい子に見られたい人それぞれ見られたい自分があることでしょう
しかしそれらを演じて得られる対価はたったボタン1つのいいねマークだけなのです
そしていいねをくれた方々は実はその瞬間しか対象者に関心はありません
皆それぞれ本当に関心があるのは対象者ではなく自分なので本当のところいいねの対象者のことなど「どうでもいい」のです
こうした無益なものから離れてみると人の評価よりも自分自身に常に目が向いている状態なので余計な不安や他者と比べて自分はという無駄なスロレスが圧倒的に減りました
減ったと言いますのは正直まだSNSをやめて1週間ですので全く無くなったとは言い切れません
これから徐々に心の断捨離をしスッキリ整理し新しい自分を開拓していきたいです
孤独であることの大切さに気づいた
人間の本質は孤独であることを前述しましたが
本来の自己の人間としての価値は他者と比べて、または他者に決められるのもではありません
他者基準で生きるなどなんて卑しい不自然なことなのだろうと気づきました
私という「個」はこの地球、いや宇宙上私しか存在しない唯一無二の存在であり誰の基準に図られる狭く小さなものではなく壮大で計り知れないものなのです
この壮大な宇宙と自由をもっと愛し養うことでたくさんの成長と感動と出会う、これが本当の「個」としての最も素晴らしい人生における喜びではないかと思います
教育ではいかに皆と同じ価値観で右に習えが正しいように教えられますがとんでもない間違いと気づきました
同じもの同士がぶつかって交わっても何も生まれない
それぞれ異なる「個」だからこそぶつかり交わることで化学反応が起こり素晴らしいものが生まれると私は思います
ですから同じものと群れて同調しながら無難に生きていくよりも「個」としての孤独を愛し養うことをこれからも大事にして生きたいです
当たり前と思っていたことがむしろ不自然でそれに気づいたのが自然なことなんだと


最後に
以前も記事で書きましたが最近コロナの影響も相まって有名な方の自死の報道のインパクトは胸にズシンと影を落としてしまいます
特に三浦春馬さんの訃報に触れた特に正直私も自己の死生観について
まだ春馬さんの訃報が届いた当日SNSをやっていましたので彼の訃報に胸を痛めながらふと他者と比べて自分なんて生きている価値なんてないのではないかと心のどこかで嘆いて自分を責め続けていました
きっと春馬さんの苦しみの中にも他者という基準に苦しめもがいていた部分は大きな要因として存在していたのだと思います
そんな中勢いで深夜私は誰にも告げずSNSのアカウントを消去したわけですが
自分を変えるとか自分を守るとなった場合必ず手放さなければならないもの別れなければならない人々が存在しそれを手放す勇気によって人生は変わるし救える命があるのだと体感しています
人と人を比べたり批判したり比較したりランク付けしたり人間的価値を安価に扱うこの不自然な世の中から一人でも多くの方がそのとんでもない間違いに気づくことで解放され
苦しみから喜び多き人生、
絶対的「個」としての自然に戻ることを切に願うばかりです
君はロックンロールを聴いた事があるか?
君はロックンロールを叫んだ事があるか?
沖田ブラザーズバンド待望のファーストアルバム。
走り続ける人々へのエールと生きづらさや孤独をロケンロールに乗せて泣き叫ぶ。ご視聴ありがとうございます↓↓↓
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