人生が変わる!【若い頃の苦労買ってでもしろ】がじつは合理的な理由

人生

こんにちはひろむんです♪

休みの日はなんもしないダラダラ過ごすのが大好きな私です

ダラダラ過ごしているとつい自分は人生無駄にしているのではないかとふと罪悪感を感じずにはいられません

あれをしよう、これをしようと休み前から計画はするのですがいざ休日になるとダラダラ生活に流されてしまいます

人生は有限であり一度きりです

昔の人はよく「若い頃の苦労買ってでもしろ」と言いました

「若い頃の苦労買ってでもしろ」?

苦労なんて買うどころかタダでもいらんわーい!

と「若い頃の苦労買ってでもしろ」というおじさんに言い返す前に一緒に考えてみましょう

若い頃の苦労は必要なのか?

若い頃の苦労がじつは合理的な理由について書いてみたいと思います

苦労とは何か?

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」

とはいうものの、そもそも苦労ってなんでしょうか?

単純にこう聞かれた場合あなたは即答できるでしょうか?

私はしばらく無言のまま考えました

考えぬいた結果苦労とは何かの答えを導き出す事ができました

苦労とはひとつの目標や目的のための手順や道筋、プロセスと考えます

ひとつの目的と端的に言いましたがそれは毎日毎日の課題やお仕事といった短期的な細分化されたものではありません

人生を総じてひとつの目標、目的とみなします

人生を100kgの重い重いダンベルに例えるならば

日々その100kgのダンベルを持ち上げるために鍛錬が必要なわけです

ある日突然自分の人生を振り返ってみてこのままではいかん!と一念発起し人生を変えるべく頑張ろうとした場合

その筋トレを今まで積み重ねて来たか否かで人生というダンベルを思い通りに持ち上げられるか

はたまたあまりの重さに歯が立たず息切れしてしまい心身共に萎えてしまうか

この差が必ず中年期にはっきり露骨に表れてしまうのです

あなたは優秀ですか?

「若い頃の苦労買ってでもしろ」の苦労の伝えたい意味はなんとなく理解していただけたかと思われます

さて、ここで質問です

あなたは優秀ですか?それとも・・・

後者でない事を祈りたいですが

むしろ優秀かそうでないかを白黒つける事自体が間違っていると私は思います

どちらでもない、またはどちらかよりという言語化できないぼんやりとした存在であっても良いのです

昨今議論で論破し勝った方が優秀とみなされる非常に危うい価値観が蔓延しています

例えば温泉に行く意味あるかなしか?

Aさんは高い交通費や宿泊費を払ってわざわざ遠出して行く温泉は幸せだ

に対して

Bさんはそんなのコスパ悪すぎ非合理的、家のお風呂場でYouTubeかなんかで広大な温泉地の自然の風景流せば交通費も宿泊費もかからずタダで温泉に行った気分が味わえて合理的

コスパ重視で合理的に物事を解決したい場合はBさんの言うことに納得ですが

人生の楽しみはかならずしもコスパが良いものではなく、合理的に物事を進めるためには必ず非合理的なプロセスを経過しなければならない場面が多々あるのです

その非合理的なことをパスしてショートカットして得たものは短期的には楽で合理的かもしれません

しかし、人生長いのです

ショートカットすればしただけ必ず人生のダンベルはいずれ目の前に重く重く大きな壁として立ち塞がります

マラソンと芸術

私たちの人生にいらないものが多く存在します

ちなみに私は落語は聞きません

メロンが大嫌いです

歌舞伎も伝統芸能にも興味がありません

挙げ出したらきりがないのですが

これらが世の中からなくなってもなんら私的には困りません

しかしなくなってほしい、なくなっても構わないとは決して思いません

「コロナでなくなっても構わない職業」みたいな愚か極まりない価値観がコロナ禍でだいぶ蔓延しました

マラソンと芸術

我々は生きるためだけに人生を過ごしていません

人と会い、愛して感動し

美味しいものを食べたり素晴らしい作品にふれて感動したりしながら人生を楽しんでいます

本来「なくなっても構わない」とみなしているものが実は自分の人生に明るく光を与えてくれているのです

マラソンはきつい、走るだけでもきついのに走り続けなければならない

42.195km電車やバスで行けばすぐなのにあえて自らの体力を駆使して挑む価値

まだゴールは見えない、途中で挫折してしまうかもしれない

未来の事は誰もわからない

ひたすら挑む、心身を鍛錬し目の前の苦難に挑む

もはや苦労というものの本質がつまっています

あらゆる職業もスポーツも総じて我々に心の豊かさと人生のダンベルの重さに耐えるべく教養という筋肉を養ってくれるのです

なくなっても構わない職業なんてこの世に存在しません

なくなっても構わない人などこの世に存在しません

理想的な苦労の仕方

以前から仕事をしていると、こんなことしていて意味があるのかなと感じたりする事がたまにあります

仕事をする意味とは何か?

金を稼ぐため?納税の義務を果たすため?

それはそれで間違ってはいないのですが

仕事は世の中を誰かを幸せにするためのものと考えることはできないでしょうか?

あなたがしてくださった仕事の延長線上に必ず人々の幸せと快適さがあります

ですのであなたは無駄に時間を浪費しているわけではありません

どんなに小さな簡単な仕事だとしてもそのような人々の幸せを思い心を込めて従事する事が大切だと思います

もし、そのような視点に立てない方でも

今お金を稼いでそのお金をどのように役立てるかの先々のビジョンを描きながら従事する、これも大変有意義な事だと思います

私利私欲に流されずひたすら世のため人のために自分の時間を提供する

巷では搾取だの社畜だの何かと揶揄されている「労働」がこんなに尊い素晴らしいものともっと皆が改めて気づくべきだと思います

私利私欲に流されることなく誰かのために世の中のために

これが最も理想的な苦労だということを忘れてはなりません

まとめ 辛い時自分に言い聞かせていること

苦労は辛いものです

時に心身ぼろぼろにやられて立ち直れなくなりそうになります

しかし時が経てばあの時の苦労がまるで嘘のように消えてしまいます

止まない雨はない、とよく言われていますがその通りで

もし、また苦労がやってきたら新しい幸せのための衣替えと自分に言い聞かせてじっと心静かに苦難が去るまで待つ、という心構えでいることを常に意識しています

時が経てば大抵の事はなんとかなるようになってしまうから人生って本当に不思議ですね

世の中のため人のためにやるだけのことはやってダメで八方塞がりになったら腹括ってお手上げだーとあきらめて苦難が過ぎるまでひたすら待つ

あきらめちゃうんです、いざという時

あとは天に任せると

すると、神様はそう悪いようにはしない

人生なるようになるのです

希望を持って歩みましょう

最後までご覧くださいましてありがとうございました

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